東京高等裁判所 昭和32年(う)2373号 判決 1958年12月19日
控訴人 原審検察官 杉本覚一
被告人 高野宗久
被告人 松尾梅雄 外二名
検察官 杉本覚一
主文
被告人松尾梅雄に対する原判決を破棄する。
被告人高野宗久及び同阿部虎造外四名に対する原判決のうち右被告人両名に関する部分を破棄する。
被告人松尾梅雄を懲役八月、被告人高野宗久を懲役一年二月、被告人阿部虎造を懲役二年に処する。
ただし、被告人三名に対して各三年間右刑の執行を猶予する。
被告人高野宗久から金三十一万五千円を追徴する。
押収の出来高証明書二通(東京高等裁判所昭和三二年押第八三八号の五の赤谷川綜合開発ボーリング、グラウト工事関係綴一冊のうち物第五号証の一)の虚偽記載部分をいずれも没収する。
訴訟費用中、当審の証人水原晴郎に支給した分は被告人松尾梅雄の単独負担、原審証人阿部勝蔵、同高橋栄作、同太田俊雄及び同大門次八に支給した分は被告人高野宗久の単独負担とし、原審証人松井三次に支給した分は被告人阿部虎造と原審相被告人高野寛及び同鈴木喜美男との連帯負担とする。
被告人高野宗久の本件控訴を棄却する。
理由
被告人三名に対する原審検事杉本覚一の控訴理由は、いずれも本件記録に編綴せられた同人作成名義の控訴趣意書(いずれも右各書面に添付されている各資料を含む)記載のとおりであるから、いずれもこれらをここに引用することとし、これらに対する被告人松尾梅雄の弁護人中村信敏及び同牧瀬幸、並びに被告人阿部虎造の弁護人松岡末盛の各答弁は末尾に添付せられた右各自作成の答弁書と題する書面記載のとおりであり、また被告人高野宗久の弁護人柳川澄の控訴理由は末尾に添付せられた同人作成の控訴趣意書記載のとおりである。よつてこれらに対して当裁判所は左のごとく判断する。
第一、被告人松尾梅雄の弁護人中村信敏及び同牧瀬幸は答弁として、同被告人に対する検事控訴趣意書は刑事訴訟法で定められた方式に違反するものと認められるから同法第三八六条第二号に則つて決定をもつて同被告人に対する検事控訴は棄却せらるべきである旨主張するので、この点について審究するに、
被告人松尾梅雄に対する検事控訴趣意書によれば、その冒頭において、原審判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の違法があり、然らずとするも、訴訟手続の法令違背による審理不尽の違法があり、そのため事実を誤認したものと認められ、これまた判決に影響を及ぼすことが明らかであり、いずれの点よりするも到底破棄を免れないものと思料すると前提し、その理由については、被告人高野宗久に対する収賄被告事件の控訴趣意書中、第一、「事実誤認」の項の中の「二、松尾梅雄から金二十万円の収賄の事実について」と題する部分の理由記載をまずそのまま全部ここに引用した上、と記載されてあり、続いてさて、本件は、検察官提出の甲第三四号証の六(記録七〇七丁-七〇八丁)までの証拠によつて、前記引用の控訴趣意書記載の理由(ただし引用の証拠は甲第三四号証までで甲第三五号証以下を除く)によりその証明は十分であると信ずる旨記載されていて、検事は、右引用部分と同一の記載を控訴趣意書本文中に重ねて記載する煩を避け、これに代えるに、右高野に対する控訴趣意書の謄本を添付資料として本趣意書本文と契印附加したものであつて、すなわち、右資料は本趣意書の内容として本文と一体をなすものとみられ右引用部分の記載と右趣意書の本文と相まつて原判決に事実の誤認があることの理由を示したものとみられるのであるから本趣意書を趣意内容を示していない不適法なものと目すべきではないというべきである。所論引用の大審院判例は上告趣意書に他の書面を上告論旨に援用するとあるのみでなんら資料の添付及び説明はなく該文書を参照しなければその論旨を知悉し得ない場合の案件でありまた昭和二五年一〇月一二日最高裁判所判決に示すところは上告趣意書には控訴趣意第一点を援用すると記載あるのみで上告趣意書自体にまつたく趣意内容を示してない場合の案件であつていずれも本件とはその趣を異にするものであるが故に、これらをもつて本件事案を律することは適切ではないというべきである。また検事は右資料の引用について被告人松尾につき、原裁判所において取り調べなかつた甲第三五号以下は本趣意書には引用しないと説明しているのであるから、所論のごとく、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われていない事実を援用した廉はない。なお検事の所論は、右甲第三五号以下を除くとして同引用部分に挙示せられたその余の証拠をそれぞれ対応部分に援用して控訴理由とする趣意であると認められるが故に資料の何れの部分を如何ように引用するか明確を欠くことなく控訴理由が不分明と目すべきではない。なお、牧瀬弁護人所論の訴訟手続の法令違反の控訴理由についても、検事は、本件の場合原審裁判所は刑事訴訟法第三一三条の規定に拘らず、当然検察官の弁論再開の請求を採用して、弁論を再開し、検察官にその立証責任を十分果させると共に、職権主義の立場からすれば自らも検察官に更に立証を促すとか、職権による取調をなす等して、十分に事案の審理を遂げるべき訴訟法上の義務を有していたものといはねばならぬと主張しているのであつて、所論はひつきよう原裁判所には刑事訴訟法第三一三条の適用を誤り同法第一条所定の趣旨に則らなかつた訴訟手続上の法令違背があつたものというに帰着するものとみられるが故に、その当否は別として控訴理由の内容を趣意書に明示しないものと目すべきではない。かくして被告人松尾に対する検事の控訴趣意書が所論のごとく刑事訴訟法又は刑事訴訟規則で定める方式に違反するものとは肯認しがたく、決定をもつて控訴棄却を求める論旨は採ることはできない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 中野保夫 判事 尾後貫荘太郎 判事 堀真道)
被告人松尾梅雄の弁護人中村信敏の答弁
第一検察官の控訴趣意書は刑事訴訟法で定める方式に違反すると認められるから、同法第三八六条第二号に則り決定をもつて控訴を棄却すべきものと思料する。即ち検察官の控訴趣意書は「原審判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の違法があり、然らずとするも訴訟手続の法令違背による審理不尽の違法があり、そのための事実誤認と認められるから、これ又判決に影響を及ぼすことが明らかであり、いずれの点よりするも到底破棄を免かれないものと思料する」というにありて、その控訴理由が刑事訴訟法第三八二条の事実誤認のみを主張しているのか、将又、同法第三七九条の訴訟手続の法令違背をも併せて主張しているのか、明瞭を欠くが、いずれにしても原判決破棄の理由として冒頭に収賄側である高野宗久に対する収賄等被告の件の控訴趣意中、第一「事実誤認」の項の中「二、松尾梅雄からの金二十万円の収賄の事実について」と題する部分の理由記載を先ずその儘全部引用しているのである。そこで高野宗久に対する控訴趣意書中の右の引用部分を仔細に検討するに被告人松尾梅雄に対する贈賄被告事件に関し取り調べたことのない証拠(資料)を多数援用してそれに基いて論じており、然らずんば検察官の独断によるものである。(被告人松尾に対する贈賄被告事件につき取り調べた甲号証の証拠は第十九号証乃至第三十四号の六に過ぎない。)控訴趣意書には訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実を援用しなければならぬのである。(刑事訴訟法第三七九条、第三八二条)されば本件控訴趣意書は同法条に違反するものと認められるから決定をもつて控訴を棄却すべきものと思料するのである。
被告人松尾梅雄の弁護人牧瀬幸の答弁
第一刑事訴訟法第三百八十六条により検察官の控訴趣意書は不適法を理由として控訴棄却せらるべきである。
一、控訴理由は控訴趣意書自体に明示すべきものであつて、他の被告人に対する控訴趣意書又は別件記録の証拠を引用することは許されない。
(参照判例) 大審院昭和五年(れ)第一九四一号昭和六年一月二三日、刑四部判決「上告裁判所ハ上告趣意書ニ拠リテ其ノ上告ノ理由ヲ審査シ之ニ対スル相当ノ手続ヲ為スヘキモノナルヲ以テ上告ノ理由ハ趣意書自体ヲ以テ明白ニ之ヲ指示セサルヘカラス仮令同一事件ニ関シ下級裁判所へ既ニ提出セラレ訴訟記録ニ綴込ミアル他ノ書面ト雖モ之ヲ上告論旨又ハ其ノ一部トシテ援用シ該文書ヲ参照スルニ非レハ其ノ上告趣旨ヲ知悉シ得ヘカ大審院昭和九年(れ)第八五九号同年九月二九日刑三部判決「他ノ事件ノ為ニ他ノ被告人ヨリ提出セル上告趣意書ヲ引用シ又ハ他ノ事件ノ記録ヲ自己ノ上告趣意書ニ於ケル上告理由ノ証拠ニ引用スルカ如キハ法ノ許容セサル所ナリ」
本件松尾梅雄に対する検察官の控訴趣意書には、その前段に「原審判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の違法があり」と謂い「右理由については高野宗久に対する収賄等被告事件の控訴趣意中、第一、事実誤認」の項の中の「二、松尾梅雄からの金弐拾万円の収賄の事実について」と題する部分の理由記載を、先ずその儘全部ここに引用した上、さて、本件は検察官提出の甲第三十四号証の六までの証拠によつて、前記引用の控訴趣意書記載の理由(但し、引用の証拠は甲第三十四号証までで甲第三十五号証以下は除く)によりその証明は十分であると信ずる」と述べるのみで控訴趣意書自体に控訴理由を明示しない。而も引用の高野宗久に対する控訟趣意書は別件である高野宗久等被告事件の記録に基き甲第三十五号証乃至甲第一一〇号証並に同事件の公判廷に於ける証人の供述調書を基礎に立論せるものであり若し甲第三十五号証以下を除くとすれば松尾梅雄に対し何れの部分を如何ように引用するか明確を缺き控訴理由が不分明である。
二、訴訟手続の法令違反を控訴理由とするためには、控訴趣意書に法令に違反したる内容を明示せなければならない。
(参照判例) 大審院昭和一一年(れ)第一、六五七号同年一一月四日刑五部判決「上告裁判所ハ原則トシテ上告趣意書ニ包含サレタル事項ニ限リ調査スヘキモノナレハ違反ノ内容ヲ明示スルニ非レバ之ヲ調査スルヲ得サルノミナラス法令ノ違反ハ常ニ判決ノ違法ヲ表スモノニ非サレハナリ本件ノ如ク上告趣意書ニ法令ニ違反シタル内容ヲ明示セサルヲ以テ之ヲ判断スルニ由ナク上告理由ト為スヲ得ス」
検察官は控訴趣意書の冒頭に「原審判決には……訴訟手続の法令違反による審理不尽の違法がある」と主張し、後に「……本件の場合原審裁判所は刑事訴訟法第三一三条の規定に拘らず当然検察官の右弁論再開の請求を採用して弁論を再開し爾後検察官にその立証責任を十分果させると共に職権主義の立場からすれば検察官に更に立証を促すとか職権による取調べを為す等して十分に事案の審理を遂げるべき訴訟法上の義務を有していたものと云はねばならぬ」と述べ別件の証拠(甲第三十五号証、甲第三十六号証、甲第四十一号証、甲第四十二号証、甲第四十八号証)を援用して論旨を補強している。併し検察官は単に原審裁判所の刑事訴訟法上の審理義務の違背をいうのみで同法の如何なる条項に如何なる違反を為したのであるか内容を明示しないから検察官の控訴理由は不適法である。
(その他の答弁は省略する。)